はじめまして。


BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。

コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。

迷子のヒナ 261 [迷子のヒナ]

正直、パーシヴァルの退会はクラブにとっては痛手だ。

圧倒的な魅力を持ち、誰もが求めずにはいられない男。

ジャスティンにはその魅力とやらが、さっぱり理解できなかったが、ジェームズは違ったようだ。頑なに否定しようとはしていたが、惹かれているのはもはや隠しようがなかった。

実際ジェームズも認めていた。

『僕が好きだからだろう?』『そうかもしれませんね』

あれは軽口の叩き合いではなく、本音だったのだ。以前のジェームズならたとえ冗談でもパーシヴァルを好きなどと言うはずがない。パーシヴァルもそうだ。クラブをやめるなどと――

「旦那様、大変でございます」

今度はいったいなんだ?ジャスティンはうんざりと顔を戸口に向けた。「大変というわりには落ち着き払っているな、ホームズ」

皮肉のひとつでも口にしなければおかしくなりそうだ。次から次へと問題を持ち込みやがって。

「お褒め頂き恐縮でございます」
皮肉に気付いていないのか、皮肉に皮肉で応じたのかは謎だが、ホームズはいかにも有能な執事らしい恭しさで頭を垂れた。

「それで?ヒナが素っ裸で屋敷の中を走り回っていたりするのか?」それでももはや驚くに値しないが。

「ブルーアー家からジェームズ様に招待状が届きました」ホームズはあるじの冗談をまったく無視して答えた。

「ブルーアー……?まさか結婚式の招待状ではないだろうな?」

「おそらくは、そのまさかだと」

ちっ!なんてことだ。ジェームズのやつ早まった真似をしてくれたな。どうりで相談しろと言ったとき、歯切れが悪かったわけだ。あまりに愚かで浅はかな行動だ。いよいよあいつを本気で懲らしめる必要があるな。だが、その前に――

「どちらからでもいい、いますぐに俺の分の招待状を出させろ。いや、待て――ブライスにしろ。今後妙なことをしでかさないように圧力をかける」

「クロフト卿のはよろしかったですか?」ホームズが真顔で尋ねる。

ジャスティンは思わず口元を緩めた。ホームズもなかなか意地悪な男だ。

「あいつはヒナと留守番だ」

わざわざ荷物を抱えて行くこともあるまい。

つづく


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迷子のヒナ 262 [迷子のヒナ]

ジャスティンが無事に招待状を手にしたその頃、ヒナはもれなくパーシヴァルに餌付けされていた。

「ねえ、パーシー。治った?」

午前のティータイム。

ヒナはパーシヴァルから贈られたチョコレートを大切に口の中で溶かしている最中、突如尋ねた。

ヒナとパーシヴァルが一緒にお風呂に入ってから、三日が経っている。

ブライスから受けた仕打ちからまもなく一週間といったところだ。

「ほとんどね」そう返事をして、パーシヴァルはそっと溜息をついた。

心配してくれるのはヒナだけ。
ジャスティンは僕の姿を見るにつけ呪いの言葉を吐くし、ジェームズはテーブルの上のパン屑でも見るような目つきで僕を見る。さっさとゴミ箱へ放り込んでやると言わんばかりに。

つまり、いまだに歓迎ムードは漂ってこないということだ。

「ヒナ、僕の身体を見たことはみんなには内緒だよ」

ジャスティンが知ったらなんと言うか……。でもあれは楽しいひと時だった。ヒナはあまりに一方的だったが、エロティックな要素もなく誰かと一緒にお風呂に入ったのは、おそらく初めてだ。
洗いっこは広域の意味ではしたことはあるが、それにはエロティックな意味合いしかなかった。

「言わない。治ったらまた一緒に入る?」ヒナはいつものように冷めた紅茶をずずっと啜り、かわいらしく小首を傾げた。

「んー、それはどうかな?」ジャスティンが許すはずない。でも、内緒ならまた一緒に入ってもいいかも。なんたって、ヒナと僕は血が繋がっている。正真正銘の血族だ。しかも仲良しだ。

「じゃ、諦める」
ヒナはあっさりしたもの。相手がジャスティンでない限り、必死で食い下がったりはしないのだ。

パーシヴァルは血相を変えた。

「ちょっ!なにも諦めなくてもいいじゃないか。ほら、ヒナがひとりで寂しい時なんかは一緒に入ってあげてもいいし」

両親や祖父とよく一緒にお風呂に入ったというヒナ。彼らの代わりにはなれないかもしれないが、寂しい時に慰め役くらいしたっていい。

もっとも、寂しいのはパーシヴァルの方なのだが。

「そう?パーシーいやじゃないの?」ヒナが気遣わしげに眉間に皺を寄せ、唇を突き出した。

「まさか!嫌な事があるものか」

ヒナの言動に戸惑うことはあっても、嫌だとは一度も思った事はない。それだけは分かって欲しいとばかりに、パーシヴァルは真剣な表情で訴えかけた。

と、その時、突如ヒナが目をキラキラと輝かせた。ヒナは何をするにも突然だ。

「そうだ!パーシーはジャムが好きでしょう?ジャムと一緒に入ったら?」

さらりととんでもない発言をするヒナ。パーシヴァルは動揺のあまり、手に取ろうとしたチョコレートを絨毯に転がしてしまった。

心臓がドキドキしている。

ヒナが言えば、それが現実になるのではという期待が頭をもたげ、そのためには何をどうすべきなのか、早くも思考が目まぐるしく回転し始めた。

ジェームズとお風呂。

ああ、なんていい響きだ。

この美しい裸体を愛でてもらうためにも、はやく醜い痣や傷痕を治さなければ。そして念入りに磨き上げ、あらゆる場所に口づけてもらおう。

「ところでヒナ、ジェームズは僕を好きだと思う?」

意外に鋭い観察眼を持ったヒナがイエスと言えば、無くした自信が少しは戻ってくるだろう。

せめてパン屑からの昇格を果たしたい。パーシヴァルは切に願った。

つづく


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迷子のヒナ 263 [迷子のヒナ]

純白のクラヴァットの先っちょの、紅茶染みのついた部分を見つめながら、ヒナはうーんと唸った。

どうしよう。いつのまに。まだ午前中なのにダンに怒られちゃう。

お洒落なパーシヴァルに触発されたのか、最近のダンは朝の支度に以前の倍もの時間をかける。あまり辛抱強くないヒナにとって、じっと立ったまま首を絞めつけられる行為は苦行以外の何ものでもなかった。

そのうえ朝食に遅れてしまうのではとじれったい思いまでしている。パーシヴァルが来てからというもの、ヒナの好き嫌いは改善され、甘いもの以外の――肉や魚も沢山食べるようになった。野菜だけは以前と変わらず苦手のままだが、努力はしている。

「聞いているのかい、ヒナ?」

ヒナはパーシヴァルに尋ねられて顔を上げた。

「うん?」なんだっけ?

「ほら、その、ジェームズがさ……」パーシヴァルはほんのり頬を赤く染め、もじもじしながらヒナの皿にシードケーキのおかわりを取り分けた。

一口サイズに四角くカットされたこのケーキを、ヒナはすでに五つも食べている。が、また手に取った。「ジャム?エヴィと出掛けたよ」そう言って、ぽんっと口に放り込む。

「いや、そうじゃなくてさ――ん?いまエヴィって言ったかい?ここのとこに傷ある男のことか?」パーシヴァルは左頬を上から下へと指先で辿り、憮然とした顔つきでヒナの返事を待った。

ヒナはパーシヴァルの不機嫌そうな目つきに思い当たる節はあったが、賢明にも口を噤んだまま頷くにとどめた。それに今喋ったら、ケーキの残骸が口から飛び出してしまう。

「あれは何かと問題のある男だぞ。ヒナは知らなくて当然だけど、数年前――」

ヒナは急いでケーキを飲み下し、エヴァンの過去を暴露しようとするパーシヴァルを止めた。「エヴィは優しいよ」エヴァンが過去に何をしていたとしても、顏に痛々しい傷跡が残っていても、ヒナにとっては優しいお兄さんのような存在だ。滅多に笑ったりはしないけど。

「うーん、まあ、そうだろうけど」もにょもにょと口を濁し、パーシヴァルは押し黙ってしまった。ぴかぴかの親指の爪を弾きながら、まだ言い足りないのにといった不満げな溜息を吐く。

「やきもち?」ヒナは尋ねた。

やきもちならヒナも経験済み。たいした理由がなくても、ライバルというだけでその人を嫌いになれる、とっても恐ろしい感情だ。

「やきもち?」パーシヴァルは囁くようにヒナの言葉を繰り返した。「そうだね、これはやきもちだ。ねえ、ヒナ。ジェームズとエヴィは何してると思う?もちろん仕事なんだろうけどさ……」

「違うよ。ジャムはステッキを買いに行ったんだ」

ジャスティンには『ジェームズの行動をいちいちパーシヴァルに教えてはダメだ』と釘を刺されていたが、大好きなおじのために本当のことを口にせずにはいられなかった。

「ステッキ?」なぜ?といった顏でパーシヴァルが訊き返す。

「だってパーシーは外出禁止でしょ?」

パーシヴァルは一時ぽかんとしていたが、すぐにヒナの言葉の意味を悟り、しおれていた瞳にまばゆいばかりの光りが戻った。

ジェームズの外出は愛用のステッキを失くしたパーシヴァルのためだった。失くしたのはもちろんブライスに拉致された時。エヴァンは単なる護衛。ジャスティンの言い付けで、しばらくジェームズには護衛が付くことになったのだ。卑劣なブライスが懲りずに何か仕掛けてくるかもしれないから。

「ヒナ、極上のチョコレートを追加注文しようか」パーシヴァルが上機嫌で言った。

ヒナの瞳もこれ以上ないほどのまばゆい光を放ったのは、言うまでもない。

つづく


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迷子のヒナ 264 [迷子のヒナ]

バーンズ邸に春の嵐が訪れたのは、五月に入ってからのこと。

「使用人の手配は済ませました」

あまりに無情な宣告。

パーシヴァルは愛する男をキッと睨みつけた。手にしていたナイフとフォークを置き、ジェームズから視線をそらさずにワイングラスに手を伸ばした。余所見をしていた罰か、足の長いグラスはコンッという小気味いい音を立てて、テーブルに倒れた。真っ赤な染みがクロスに広がり、ジャスティンが小さく罵り声をあげた。いちおう食事の席で遠慮したらしいが、部屋中に響くには十分な声量だった。

「パーシー、こぼしたー!」さきほど水の入ったグラスを倒したヒナが、仲間が増えたと、楽しげに椅子の上で身体を左右に揺らす。

揺れるヒナとパーシヴァルの間に割って入ったのは、執事のホームズ。テーブルの上を速やかに整え、新しいグラスにワインを注ぎ、また部屋の隅に控えた。

「ヒナ、行儀が悪いですよ」

パーシヴァルをからかうヒナを注意したのは、もちろんジェームズ。ヒナは口をすぼめ、ひょいと肩を竦めてみせた。ジェームズはヒナのその仕草が気に入らなかったようだが、あまり厳しいとジャスティンから抗議の声が上がるため、鋭い一瞥ののち食事を再開した。シモン特製のローストビーフを優雅に口に運び、軽く咀嚼して上質の赤ワインで喉の奥へと流し込んだ。

なめらかな仕草のなんとエロティックな事か。喉が上下するのを見ただけなのに、うっかりあそこを勃たせてしまった。
楽しく食事をしている最中に気の滅入る言葉を口にした男なのに、いちいち欲情してしまう自分が愚かしい。

「使用人の手配って何のことだ?」

都合の悪い時はとぼけるに限る。ジェームズは何が何でも僕を追い出す気だが、そうはさせるか。

「使用人もいない屋敷へ戻ってどうするつもりですか?一人でブーツの紐を結べるんですか?」ジェームズは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「そ、それくらいできるさ!だいたい僕がいつ屋敷へ戻るなんて言った?」苛立ちから指先をテーブルにトントンと打ちつける。不作法だろうがなんだろうが知った事ではない。

そもそもヒナが同じ席にいて、何が不作法で何が不作法でないのか判別することは不可能だ。

「そうだよっ!パーシーはずっとここにいるんだからねっ!」

ヒナは興奮して手にナイフを持ったまま腕を振った。予想通りまたグラスが倒れた。ついでにその拍子にナイフが飛び、パーシヴァルの手元のパンにブスリと突き刺さった。

ヒナの手の届く範囲に余計なものを置いてはいけないというのはこういうことだったのかと、いまさらながらパーシヴァルは納得する。背筋にちょっぴり冷たいものが伝ったが、ここに長く住むなら慣れるしかない。

「ずっとは無理だ」ジャスティンが吐き捨てるように言う。考えるだに恐ろしいといった態だ。

「えぇ……」と、ヒナとパーシヴァルの声が重なる。

「そういうことです」とジェームズが話を打ち切る。

パーシヴァルの頭に血がのぼる。ジェームズの完璧さを知っていても、こう口にせずにはいられなかった。

「この時期どこも人手が足りないというのに、まともなやつを雇えたのか?僕は寝起きには熱々の紅茶が飲みたいんだ」

「ヒナはひえひえがいいな」

口を挟まずにはいられないヒナは、援護しているのか、邪魔しているのか。

誰か教えてくれ。

つづく


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迷子のヒナ 265 [迷子のヒナ]

ジャスティンは不機嫌だった。

いつにも増して無口なのもそのせいだ。

ジャスティンは今日の午後、密かに弁護士と会っていた。もろもろの手続きが終了し、ヒナはラドフォード伯爵の孫だと認められた。同時に、伯爵は娘の結婚と死亡も認めたわけだが、世間に噂が流れるのも時間の問題だろう。

そのことはたいしてジャスティンの気に留める事ではなかった。

気掛かりなのはたったひとつ。ヒナのこれからだ。すでに日本には弁護士が派遣されている。ヒナがすべてを放棄しこの国に留まることを伝えるため。生きていることを伝えるのはそのついでと言ってもいい。

日本に行った弁護士がどのような返事を持ち帰るのか気が気でないが、コヒナタイサムがこちらの提案をはねつけるとは思えなかった。

彼はヒナが受け継ぐべきすべてを手にしたのだから。

いま現在の差し迫った問題は、伯爵がパーシヴァルをヒナの後継人として選んだという事だ。まったくありえない事だった。だからこそアンディは事前にジャスティンだけに打ち明けたのだろう。

とにかくそうなると、パーシヴァルの機嫌を損ねるのはあまり賢明な事とは言えない。
この国いる限り、ヒナが成人するまでのすべての権利をパーシヴァルが握るのだから。

暗澹たる思いで、ジャスティンは溜息を吐いた。パーシヴァルにへつらうような真似はしたくない。だがヒナのためにそうすべきだとしたら、そうするまでだ。

「ジュス、どうしたの?」

ヒナが心配そうにこちらを伺う。さっきまできゃっきゃと騒いでいたのが嘘のような、青い顔で。

おそらくヒナはジャスティンの不安を感じ取ったのだろう。そんなヒナの様子に、パーシヴァルも表情を曇らせる。

お前のせいだと罵りたいのを抑え、「お腹がいっぱいだがデザートは食べられるだろうかと考えていたんだ」と目の前のデザートの皿に視線を落とす。今夜のデザートはカラメルプリンにチョコチップクッキー、ふわふわのメレンゲにはちみつ漬けのナッツだ。

理解しがたい取り合わせだ。

「ヒナ、食べれるよ」目をらんらんとさせ、頼もしい申し出をするヒナ。

こういう時、ヒナの単純さがありがたい。

「じゃあ、そうしてもらおうか。ついでにパーシヴァルのデザートも貰ったらどうだ?確か、カラメルは苦手だっただろう」

「え、そうなのパーシー」さらにキラキラと輝くヒナの瞳。

「まさかっ!大好物さ。僕は自分のデザートを食べきる自信はあるからね」パーシヴァルは慌てて自分の皿を取り囲んだ。

「よければ僕のを差し上げますが?」ジェームズがパーシヴァルに向かって皿を押しやる。

ヒナがそれを受け取ろうと手を伸ばし、うっかり、本当にうっかり、水のグラスを倒してしまった。

ジャスティンはぐちゃぐちゃに乱れたテーブルの上を見やり、満足げに微笑まずにはいられなかった。

ヒナがいると退屈しない。

つづく


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迷子のヒナ 266 [迷子のヒナ]

ジャスティンも退屈しないが、ホームズも退屈しない。

むしろ仕事が増えすぎて息吐く暇もないほどだ。

けれども、世話を焼くのが楽しくて仕方がない。

お坊ちゃまがもし、この屋敷からいなくなったらと思うと、引退という考えすら頭に浮かんでくる。旦那様には申し訳ないが、なにを犠牲にしてもお坊ちゃまを守り抜いて欲しい。

ホームズはテーブルの上を片づけながら、いつになったらジャスティンが例の話を切り出すのか様子を伺っていた。

特定の紳士にはとてつもなく魅力的かもしれないが、我が屋敷には居て欲しくない紳士――パーシヴァル・クロフトがお坊ちゃまのすべてを握っているなど考えたくもない。

お坊ちゃまの御祖父――ラドフォード伯爵様は、とんだ嫌がらせをしたものだ。公爵様になかば脅されたようなものだから、何らかの形で反発したかったのだろう。

まったく愚かな老人だ。
一〇年後、自分があのような姿になっていない事を祈ろう。

わたしは決して偏屈な年寄りにだけはなりたくない。歳を取るのは仕方がないが、理解ある尊敬される老人でありたい。お坊ちゃまが好いてくれるようなおじいちゃまが望みだ。

「ヒナもお酒飲みたい」

やれやれ。お坊ちゃまが、また無茶を申された。
片付いたばかりのテーブルに上半身を投げ出し、腕を扇型に広げたり閉じたりしている。これでもうテーブルを拭く必要はなさそうだ。

「だめだ。部屋へ戻りなさい」ごく当然の反応を示すジャスティン。これからは大人の時間だと暗に告げているのだろう。

という事は、例の話をされるのだろうか?

「えぇ……ヒナ、もう大人なのに」そう言って下唇を突き出し、不満を訴えるヒナ。ホームズもなんとか言ってよ、と老執事を縋るような目で見つめる。

「ホームズ、余計なことは言うなよ」とジャスティン。

うっかり甘やかしてしまわないようにと、釘を刺されてしまった。さすがのわたしもそこまで愚かではないですよ。と言いたいところだが、あのキラキラと輝く糖蜜色の瞳で見つめられると、愚かにも『いいではないですか旦那様』と口にしそうになる。確か旦那様は、お坊ちゃまと同じ歳の頃にはすでにお酒を嗜まれていたはずだ。

「お坊ちゃま、部屋へホットチョコレートをお持ちしましょう。その間にお風呂の支度をさせておきますので」

「はぁい」と渋々だが返事をしたヒナはホームズの顔を立てたようだ。わがままを突き通せば、ホームズが困ったことになると知っているから。

ホームズは優しいヒナのために、自らホットチョコレートをいれにキッチンへと向かった。

シモンがいい顔はしないだろうが、わたしはこの屋敷の使用人頭だ。四の五の言うようなら、手当てを減らすという手段を取ることも出来るのだ。

さてさて、旦那様がうまいこと話を進めてくれればよいが。あの軟弱な男にお坊ちゃまを連れて行かれる、なんてことにならないように。

つづく


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迷子のヒナ 267 [迷子のヒナ]

「今夜に限ってヒナを追い出したのにはわけがあるのか?」

ヒナが名残惜しそうに食堂を出て行くのを待って、パーシヴァルは尋ねた。

いつもなら、ヒナを追い出す前にジェームズは仕事だとかなんとか理由をつけて席を立っている。ジャスティンにしたって、しょんぼりと項垂れるヒナをそのままにしておくはずがない。

というわけで、何かが起ころうとしているのは間違いない。

「伯爵から連絡は?」

今夜ずっと不機嫌だったジャスティンが気難しい顔のまま訊いてきた。

「いいや」そんなのあるはずない。いや、待てよ。「そういえば……僕はラドフォードを名乗るように言われたよ。パーシヴァル・ラドフォード――なんだかしまりがないと思わないか?だから、パーシヴァル・クロフト・ラドフォードと名乗る事にしたよ」

ジャスティンはそんなのはどうでもいいというような顔をした。「他には?」とそっけなく尋ねる。

「なにも。おじは僕のような人間には出来るだけ関わりたくないんだ」そう言ってパーシヴァルは小さく首を振った。関わりたくないどころかこの世からいなくなればいいと思っているだろう。

若い給仕係が食後の紅茶を運んできた。この屋敷で食後酒を嗜むものは誰もいないらしい。

パーシヴァルは慎重にティーカップに手を伸ばした。よもや倒しはしないだろうが、万が一ということもある。今夜はヒナと共に充分過ぎるほどの粗相をやらかした。これ以上洗練された僕らしくない行動は慎まなければ。

「あつッ!」

あまりの熱さに驚いてカップを落としそうになった。確かに熱々の紅茶が飲みたいと言ったが、これでは僕の魅力的な唇が腫れあがってしまうではないか。

パーシヴァルはカップをソーサーに戻すと、手の届かない位置まで押しやった。もうひとつ粗相が増えるところだった。

「お前を後継人に指名するだと」しばらく沈黙していたジャスティンが苦々しげに言った。

「後継人?僕が?誰のだって?」

「ヒナの後継人に決まっているだろう」

ヒナの後継人?だからずっとジャスティンは不機嫌だったのか。

「ということは、ヒナは僕のもので――ああ、そういう意味じゃないよ。つまりヒナの行動すべてに口出しする権利が僕にはある。ってことは、ヒナがここにいる限り僕はここにいてもいいわけだ」

ヒナを連れて行かれないようにするためには、ジャスティンは僕の言うことを聞く必要がある。そう思ったら自然と笑みが零れた。勝ち誇ったような笑みとはこのことだろう。得意げに顎をツンとあげると、ジェームズがこちらを睨みつけているのが目に入った。

みるみるうちに楽しい気分がしぼんでいく。いつだってジェームズは僕を叩きのめす。

「つまり、言いたかったのは、ヒナと僕をこの屋敷に住まわせてくれるとありがたいという事だ」ここまでへりくだる必要があるのかと思ったが、もちろんあるのだ。ジェームズと離れたくなければそうしなければならない。

僕がジャスティンの弱みを握っているように、ジャスティンも僕の弱みを握っているという事だ。お互い一歩歩み寄るだけで、とても幸せに暮らせる。

「明日、ヒナにこの事を話す。もしもお前がヒナを連れて出たいというなら、それ相応の対応をする用意はある」ジャスティンは瞬きひとつせずそう言った。

それ相応の対応ってなんだ?要は、脅しているんだろう?この僕を!

「ジャスティン、あまり追い詰めないでくれ。さもないと――君が望まない事をしてしまうかもしれないから」

パーシヴァルは頑としてジャスティンを睨みつけた。ジェームズの事を差し引いても、先に引くわけにいかない。引くなら同時だ。

両者の間で火花が散る。どのくらい睨みあったのか――おそらく数秒だろうが――ここでやっとジェームズが口を差し挟んだ。

「居候がひとり増えたからといって、何も問題はないだろう?彼は気前よく間借り賃を払ってくれるだろうしね」

ああ、そうとも。金などいくらでも払ってやるさ!さあ、ジャスティン。君は何と答える?

「明日弁護士を呼んで細かい取決めをする。それで文句はないだろう」まるで敗北宣言のような陰鬱な声。ジャスティンは目を逸らし、そそくさと立ち上がる。一瞬だって同じ空気を吸いたくないといった様子だ。

「もちろん」パーシヴァルはニヤリと笑いそうになるのをなんとか堪え、真顔で返事をした。

つづく


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迷子のヒナ 268 [迷子のヒナ]

「君の面目を立ててやったんだぞ。感謝の言葉のひとつでも聞きたいね」

突然話し掛けられ、ジェームズは目をしばたたいた。そこでやっと、ジャスティンが席を立ってからずっとパーシヴァルを見つめていたことに気付いた。

パーシヴァルもこちらを見ていた。ワインのせいかほんのり赤く染まった頬に手を添え、誘惑するようなとろんとした目で感謝の言葉とやらを待っている。

まったく。ジャスティンを煽って、自分の思い通りに話を持っていった男が何を言う。

「あまり賢いやり方だったとは言えませんね。ジャスティンをやり込めて満足ですか?だいたい、あなたもジャスティンと同じで、ヒナの嫌がることはしないでしょう?」そう言った口調の刺々しさに自分でも驚いてしまった。これではまるでヒナに嫉妬しているかのようだ。

パーシヴァルは子供っぽく唇を突きだして肩を竦めた。ちょうどさきほどヒナがそうしたように。

「言っておくけど、向こうが先に僕を脅したんだぞ。行くあてのないこの僕を追い出そうとするから、僕が何を得たのか教えてあげたのさ。ヒナはジャスティンの最大の弱みだ。ちょっとくらい付け入ったっていいだろう?」

行くあてがない?自分の屋敷を持ち、いくら使っても使い切れないほどの財産を持っているくせに?時期が来れば伯爵になるこの男が、行くあてがないなどとよくも口に出来たものだ。

ジェームズは微かな苛立ちを覚えつつ、席を立った。いつまでもこんなところでパーシヴァルと二人きりでいる理由などない。

「クロフト卿、おやすみなさい」逃げるわけじゃない。言い訳がましく思う。

「パーシヴァルだ。君は何度言えばわかるんだ?」そう言ってパーシヴァルも立ち上がる。「僕を置いて行こうたってそうはいかないからな。たまには一緒に過ごしてくれてもいいだろう?」

子供のようにあとをついてくるパーシヴァル。酒のせいかふらつく足で横に並び、腕を取って身体を密着させ、溜息をこぼした。

「こういうことをされると困るんですが……パーシヴァル」前を向いたまま言う。いま少しでも顔を動かせば、きっとどこかが触れてしまう。例えば唇とか。

「僕のことを汚いと思っているのか?あの時のこと、なにも言わないけど……その、あまりいい光景じゃなかった」パーシヴァルはジェームズの肩に頭を預けた。

汚い、か。
確かにあの日見たパーシヴァルが、これまで見た中で最悪だったのは認める。

けど、汚いのはブライスの方。
パーシヴァルは綺麗に磨かれ、暴行のあとも消え、もとの姿に戻った。
もしもそれでもまだ穢れているとしたら、僕はどうなる?

一〇年経ってもまだ汚いままか?

「風呂にでも入ってきたらどうですか?」廊下に出て、左右を見渡す。使用人の姿が見えない事にホッとし、パーシヴァルがしがみつく腕を軽く揺すった。これで離れてくれるなどとは思いもしなかったが、やはり、更に腕を強く締め付けられた。

「風呂?まあ、そうだな。ジェームズも一緒にどうだ?」

いったいどこまで本気で言っているのやら。ひどい目に遭っても、軽薄さが薄らぐ事はないという事か。

「遠慮します。仕事がありますので」出来るだけ冷淡に言い放つ。

どこか傷つけてやりたいという思いがあるのか、それとも、それでも縋り付いてきて欲しいのか、珍しくジェームズの思考は取り散らかっているようだ。

「ふーん。じゃあ、気が向いたら来てくれ」

パーシヴァルがすっと離れた。途端に軽くなった腕が逃げた温もりを追って宙を彷徨う。

「行きませんよ」力を込めて言う。まるで自分に言い聞かせるように。

さっきまでふらついていたパーシヴァルは、返事もせず、振り返ることもなく、しっかりとした足取りで去って行った。

そっちはバスルームではないが。

つづく


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迷子のヒナ 269 [迷子のヒナ]

えーっと。
気が向いたら来てくれと、ジェームズには言ったが、まさか先客がいるとは思いもしなかった。

「あ、パーシー!いらっしゃい」

と言われてしまえば、もう後には引けない。

だから、出来れば、ジェームズには来て欲しくない。

「やあ、ヒナ」

日本人は風呂好きだと聞いたことがあるが、ヒナはここに住んでいるのではというほど寛ぎ、ホームズが特別に淹れたホットチョコレートを飲んでいる。猫舌のヒナの事だ。おそらくただのチョコレートだろう。

仕方がないので服を脱いで、かけ湯をして、遠慮がちに湯の中に入った。

ヒナは浴槽のふちの平らな部分にカップを置き、横にずれてスペースを開けてくれた。

向かい合って座ると、つい相手の身体を観察してしまうのだが、これは習性だから仕方がない。ヒナは頭にタオルを巻いていた。髪の毛が濡れないようになのか、洗った髪をまとめ上げているのかは謎だが、ヒナが自分でやったとは思えない。ということは従僕がいつ顔を出すかわからないということだ。

適当に切り上げて、誰かに見られる前に部屋へ戻ろう。

それにしても、近い。いつの間にかヒナは、水中を浮遊する藻のように足元に絡みついていた。

「治ったね」ヒナはパーシヴァルの身体をしげしげと見つめ言った。

「うん、そうだね。ホームズの薬が効いたみたいだ」

「ねえ、パーシー。家に戻るの?」

もう話が変わった!

「いや、どうかな」ひとまず追い出されずにはすんだが、いつまでここにいられるのかは謎だ。居座り続けることが出来ないのは分かっているが、せめてジェームズとの関係が前進するまでは、ヒナを盾にとってでもこの屋敷にしがみついてやる。

ああ、ジェームズ。
寄り添い、腕を取り、肩に頭を預けた時も拒絶はしなかった。まあ、確かにちょっとは振り払おうとしていたかもしれないが、そんなに嫌そうでもなかった。

もしかすると、本当にジェームズはここへ来るかもしれない。

そう思ったら胸のドキドキが止まらなくなった。ジェームズの完全なる裸体の隅々まで鑑賞し、味わい尽くす。あの冷たい男はどんな味がするのだろうか?

「あ、パーシー、大きくなってる」

「んっ?」パーシヴァルは自分の股間を見下ろしぎょっとした。なんてことだ。ヒナの前でここを大きくするとは。「疲れていると、時々勝手にこうなるんだ」と無茶な言い訳をし、それとなく手で興奮気味の息子を隠した。

「ヒナも大きくなるよ」と言って、突如ヒナは自分のモノを握った。

「ヒ、ヒナッ!そこを人前で触っちゃだめだ!」パーシヴァルは慌てて湯を掻き乱し、ヒナの股間をあぶくで隠した。

「え、そうなの?」
へぇー、初めて聞いた。とでも言わんばかりの不思議そうな顔で、ヒナはあぶくの中に視線を落とす。

「そうだ。ほらっ、手を動かさない」まったく。ジャスティンはいったいどんな教育をしているんだ?ヒナにいちから常識というものを叩き込む必要がある。と、僕が思うのもなんだが……。

「はーい」と聞きわけのいい返事をしたヒナだが、もっと悪い事に小さな手をこちらへ伸ばして、なんと!僕のものを握った!!

「あんっ……や、やめ、ヒナ。やめなさい」

あまりの驚きに後ろにひっくり返ってしまい溺れかけた。ぜえぜえと息を切らし、ヒナの手首を掴んで持ち上げると、片方の手でヒナのわきを擽った。

きゃっきゃと笑い転げるヒナ。

「今度勝手に触ったら、もっとひどい目に遭わすからな」くすくす笑いが洩れ、ほとんど説得力がなくなってしまった。

そんな時――驚くべきことに、なおかつ間の悪い事に、ジェームズがバスルームに姿を見せた。

「いったい……」と絶句し、「あなたは何をしているんですか?」と軽蔑も露にはしゃぐおじとおいを見おろした。

ジェームズ。いったいなんでここへ来たんだ?

つづく


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迷子のヒナ 270 [迷子のヒナ]

どんな理由があったにせよ、ジェームズは鉄仮面のような形相で去って行った。

パーシヴァルがせっかくのチャンスをふいにしたのは明らかで、少しは近づいたと思った二人の距離が広がってしまったのは、それこそ火を見るよりも明らかだった。

ジェームズを恐れるヒナはすっかり意気消沈し、湯船に浮かぶカップを拾い上げて、楽しいバスタイムをお終いにした。

「パーシー、またね」と言って、タオルにくるまったヒナはとぼとぼと去って行った。

残されたパーシヴァルは、すっかり縮み上がった愛らしい息子を見おろし、長い溜息を吐いた。

なぜジェームズが気まぐれをおこしてここへ来たのかは考えないようにしよう。

湯の中へ戻り、ヒナが置いて行った石鹸を手に取ると、首から肩へと滑らせた。

サンダルウッドの香り。

ヒナはその姿に似合わず、ずいぶんと男らしい香りを好むんだな。

パーシヴァルはそれがジャスティンの香りだとは露ほども思わず、石鹸を泡立て全身を磨き上げた。

今夜はクラブへ行ってやる。まだ会員権は持ったままだ。行って何が悪い?ジェームズが僕を邪険にするからいけないんだ。別に誰かと寝ようなどとは思っていない。ただかまって欲しかった。ちやほやされたかった。

両手で顔を覆い、湯の中に沈む。
ヒナと一緒の時は狭苦しいと思ったが、ひとりだと随分と広く感じるものだ。今夜ほどそれを強く感じた日はなかった。

バスルームを出て、ヒナの部屋へ寄って従僕を借りると、身支度を済ませクラブへ向かった。ヒナに教えてもらった地下通路を通り、地上に出ると、そこは懐かしささえ感じる豪華絢爛の玄関広間だった。

「やあ、ハリー」と背中を向けて立っていた支配人に声を掛ける。

きっと驚いたはずだが、ハリーはそんなのおくびにも出さず、「こんばんは、クロフト卿」と歓迎の言葉をくれた。

パーシヴァルはにっこり笑って、ラウンジへ向かった。酒を飲むつもりはなかった。酔っ払って気付いたらベッドの上などというのは避けたかったからだ。

どこかで期待していた。ジェームズが血相を変えて駆けつけてくれることを。腕を掴み、ちぎれそうなほど強く引き、屋敷の間借りしている部屋まで引きずって行ってくれることを望んでいた。

そこでなら、ベッドの上に投げ出され、組み敷かれても、文句ひとつ言わない。おそらく泣いて喜ぶだろう。

歓喜の声があがったのをパーシヴァルは随分と遠くで聞いていた。目の前の興奮に満ちた眼差しも、誘うように差し出された手も、孤独を埋めてくれそうにはなかった。
ここへ来るまでは、また以前のような奔放な自分に戻ってしまうかもしれないと思っていたが、いらぬ心配だったようだ。

当然だ。誰もジェームズの代わりなど出来るはずがない。

けれどもパーシヴァルの中に残ったわずかなプライドの、ほんのかけらが、間違いを認めて自らの足で部屋へ戻るのを拒んだ。

ジェームズ。早く来てくれ。

つづく


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